・interviewer・Jamさん
東大和青年会議所初代理事長。
包装資材を取り扱う会社の社長であり、世界では唯一のピーターラビット公認フラワーショップも青山で展開しています。
大病を経験し、生死の境をさまよいましたが、奇跡的な回復を果たされました。
先日は里正日誌をはじめ東大和の“歴史10巻”を読み、東大和も面白い所だと改めて感じたそうです。
もともと両親が商人でした。横浜で飴の製造をしていましたが、東京へ出てきた際にお菓子の小売屋を始めたんです。あんまり商売にならなくて、父親が段ボールの回収を始めました。それが僕らの元のもとですね。兄も父の仕事を手伝い、中野では手ぜまになったのでこちらに越してきました。都内の方も仕事量は多かったのですが、こちらの駅前などでよく売れました。私もこちらで仕事を手伝い、都内は弟たちが廻っていました。
県内消費するものなら、みかんの箱にじゃがいもと書いた紙を上から貼っても文句を言われない時代でした。兄はその箱をトラックに積んで長野や山梨など地方の農協に納めていました。
昭和38年、町工場に努めていた学校の友達は月5,000円の給料、多分住み込みだったと思います。僕は毎日結構稼いでいて、スカGに乗っていました。
お兄さん参入・・・あの頃は面白かったよね~。
地方へ箱を持っていくと、今度はテープや紐も持って来てくれと頼まれる。こっちはメーカーが直送してくれるので今度は営業に専念していく。で、段々包装材料屋に自然と代わっていったんです。日比谷花壇に段ボールを届けた時、お花屋さんの包装材料がほとんどなかったのを知り、30年位前にもう得意先はお花屋さんしかない!と思いました。今の取引先は99%以上がお花屋さんです。
兄:僕が最初JC(立川青年会議所)に誘われたんですが、その時38歳でしたのですぐ卒業になってしまうから5歳離れた弟はどうですか?って。それで入会したらクレージーになっちゃった。卒業した今もやってるんだから。
ご本人:自宅にJCルームを作っちゃいました。
倫理法人会です。会員を増やそうと一所懸命活動しています。中野の会長が日野JCのOB山田長司さん(ミニメードサービスの会長)で、その方に誘われて知り合いを誘って入会しました。これからは若い方たちと一緒にやっていきたいと思っています。
JCはお仕事やられる方みんなにお勧めします。ただ今のJCは僕らの時代とはちょっと変わった感じがします。一定の年齢の人たちに僕らが持つJCに対する思い入れや考えなどが伝わりきれていない、これは僕らの責任なんですが。
もっと純粋に地域のために、とりあえず自分を置いといてもそっちを優先するという素直(純粋)な気持ちの人たちになかなか接することができなくなっています。個々であたるとそうでもないのですが。
JCは若いうちに街のことを考えましょうよという気持ちを根っこに持たせるにはとても良い。ですから経験した方、しない方の差がとても大きいです。他の団体とは圧倒的に違います。
JCは例えればサッカーです。日本で一番になってもその先があって世界に向かっていく道がある。だからJCを経験した人たちはビジネスでも世界に道が続いていることを知らなければいけないと思います。だから細かくまとまって欲しくないですね。
実際に世界大会に出席すると、裕福な国の人、貧しい国の人、宗教の違う人たち。いろんな人たちがいてワイワイやっています。世界に繋がっていることを実感します。青年会議所が他の団体と圧倒的に違うのはその部分です。卒業の時に(アムステルダムの世界大会へ)行った程度で偉そうなことを言えないのですが、非常に良い経験をさせてもらいました。
倫理法人会をなぜ一所懸命やっているかは、この年になるまできちんと生きるベースを作ってこなかったなあと。人付き合いや関係性にしても、全然なっていなかった。
今まではそんな勉強を人に勧めることではないと思っていましたが、真っ当な生き方を自説をたてて独りで実践するのは案外難しいことなので、論理法人会で仲間と作り上げていくことも一つの方法として、今はお勧めしています。
長時間のインタビューにも関わらず、笑顔でお応えくださいました。会社の前を通るだけではわかりませんが、身近に商品があったりします。ヤオコーさんやイオンさんのお花を入れる袋など気になって見てしまいそうです。