T-CHAT

Vol.16
音楽する植木職人
湖畔在住 名和田俊二氏(53歳)

・interviewer・Jamさん

市内混声合唱団「アンサンブル・ヴォカール・マルディ」指揮者。
《最初の出会いは(アレンジの出来る)音楽の先生。今は植木屋さん。なぜ!?》

■植木屋さん。選んだ理由は

私は、長く生きて世の中がどうなるか知りたいのです。100歳まで現職でいたいので、その折り返し地点の50歳で、生涯どうしてもやりたい“しごと”として植木屋を選びました。
教員をしていた自由の森学園では、むくの木を使いその木と向き合い対話しながら作品をつくる木工の授業があります。空き時間によく木工室に通い、様々な木に触れ作品をつくりました。また登山や自然のなかを走るのも好きで、さまざまな樹木に興味を持ち、近づきたいと思いました。今思うと、祖父が盆栽をやっていて、小さい頃それをひとりでよく見てました。外に居るのが好き。木に登るのも大好きです。

■どのようにして植木屋へ

まず妻と2人の娘に自分の想いを伝え、理解してもらいました。そして退職。すぐに東京都の職業訓練校に入校、江戸川まで半年通いました。その後、個人邸の手入れの多い清瀬の有松村造園にご縁があり、丸2年。週6日、朝7時前から動きはじめています。昨年、2級造園技能士を取得。今年は2級造園施工管理技士に挑戦。来年は1級造園技能士を目指したいと思っていますし、樹木医にもとても興味があります。

■音楽についてと学校の先生へのあゆみについて

初めて作曲したのは小1の時。一歳上の姉がエレクトーンをやっていて、それを見よう見まね(聴きまね)で弾いていました。習い始めたのは小3の時かな。とても素敵な先生で、楽譜は使わずにカセットに録音した曲を聴いてアレンジし、弾いていました。そのうち作曲を進められて。ヤマハジュニアオリジナルコンサートにも出場。中2の時にはピアノを買ってもらい、ジャズにも興味をもったり、とにかくよくピアノを弾いていました。電気を使うものより、アコースティックなピアノのほうが断然良くなったのです。
音大に進路を決めた高2からピアノを習い、初めてクラシック音楽を学びます。先生のお宅のグランドピアノの音が素敵で、レッスンが楽しみでした。また、浪人生活はピアノづけのしあわせな時間でした。
音大に入り、初めて合唱に出会います。4年間、教育科合唱団に入り、「合唱の喜びはここに」というタイトルで全国の小中学校へ演奏旅行に行き、3,4年では指揮や作曲・アレンジをしていました。
教員になることは考えていませんでしたが、教育実習で行った故郷の山口での音楽の授業に疑問を持ち、子どもたちに音楽を好きになってもらいたいと教員になる事を決意。採用試験の難関を突破し、中学の教員になりました。3年間山口県の小さな村の公立校で過ごした後、点数序列をしない、管理教育をしない埼玉県飯能市の私立「自由の森学園 中・高等学校」に移りました。5000人以上の子どもたちと音楽をつくり、25年間で退職。現在に至る…。

■今後はどのように考えていますか

音楽と植木職人。この二足のわらじで、両方とも本物を目指します。
今の理想は、一週間のうち半分を一人親方で植木屋、もう半分を「自分の音楽」ができたらいいですね。「自分の音楽」は合唱の指揮、作・編曲はもちろん、ピアノ弾き語り、子どもたちと音楽の授業、それからいろんな人とセッションもしたい。
やりたいことが出来るのは家族はもちろん、たくさんの人に支えられているからこそ。ほんとうに「おかげさま」で、感謝!です。

自由人という言葉がぴったりの名和田さん。奏でる音楽にもそれが溢れています。
市民音楽祭をぜひのぞいてみてください。