・interviewer・Jamさん
東大和少年少女合唱団代表
東京女子体育短期大学非常勤講師
東大和市立第二小学校時間講師
私の中では、十小で合唱団を始めたことが、この合唱団につながっています。
話は少し長くなりますが、私は小学生用の音楽劇やミュージカルを作るのが好きで何曲も作りました。
幸運にも6つほど出版してもらいましたが、その他にも自分では名作だと思っているものがあります。
このミュージカルを録音して、学芸会の時など各クラスに配って練習すれば練習もやりやすいし楽しいと思い、子供達に声をかけて合唱団を作りました。
練習や録音は朝だけ。けっこう大勢の子供が参加して合唱を楽しんでいました。
そのうちミュージカルだけではなく普通の合唱曲も歌うようになりました。
何年かやっていて、卒業生が中学に行って歌う機会があまりないので「歌いたい」と言ってきました。
その子のニュアンスにはOB合唱団でまたみんなで練習したいということも感じられましたが、市内の歌いたいと思っている子供達を集めて合唱団が作れないものかと思いました。
音楽の先生たちに相談したら、合唱講座をやってどのくらい歌いたい子がいるか試してみたらと言われました。
募集したら70人くらい集まり、こんなに歌いたい子がいるのなら市に合唱団を作ろうと決意しました。
市内に既に子供の合唱団があったら一緒にやろうと思い調べたのですが、その時点ではありませんでした。そこで一から始めました。
私の経験上、教育委員会がサポートしてくれるような合唱団が子供達も活動しやすいだろうと考えました。練習会場、団員の募集など、市内の子供達の安心・安全をバックアップしてくれますからね。
教育委員会にこの話を持っていったら現在の教育長の真如先生と当時の佐久間教育長が応援してくださり、共催でやりましょうというお話をいただいきました。
実績を積み上げた数年後には教育委員会主催の合唱団にしていただいて現在に至っています。
当初は歌いたい子には随時入団してもらっていましたが、今は年に2回、3月の定期演奏会の後と、10月の市民音楽祭の後に入団してもらっています。
毎年卒団したり部活の関係で合唱団を辞めざるを得ない団員がいますが、それを少し上回る新入団員がいるので少しずつ団員は増えています。
130名の団員数ですが、コロナで新入団員を迎えられないので少し減っています。
入団試験はありませんが、保護者と面接して練習の行き帰りが安全であること、小学生はほぼ毎回の練習に参加できることを確認して入団してもらっています。
変声期にはあまり無理して歌わないように、曲の中で歌えるところだけ参加するように伝えています。
この合唱団では変声後もファルセットを使った歌い方が基本になります。カウンターテナーの歌い方ということでしょうか。
2月22日の練習を最後に7月に練習を再開するまで、4ヶ月間全く練習できない期間がありました。
定期演奏会直前で活動中止になってしまい、ショックは大きかったですね。
活動できない期間、合唱団員としての意識を持ち続け、まとまりを保ちたいと思い、動画編集の方法を学びYouTubeに合唱団員限定公開で「おうちで練習」シリーズをアップしました。
15分くらいの「合唱団員の広場」のようなものにしました。子供が送ってきた歌声を重ね合わせて編集し、オンライン合唱にしたりしました。
指導の先生方にも協力してもらって、普段の練習ではあまり知られていない先生の一面とか、子供時代のエピソードなどをインタビューするような番組も作りました。
やっと7月から練習を再開しましたが、100人近くが一度に集まると三密の状態になるので、前半組後半組に分けて行なっています。
今年は人前で演奏する機会は全くなくなりました。
11月7日に、練習会場の二小の体育館を借りて、やっと限定ライブ配信のミニコンサートを行なうことができました。
よく先生方と、「子供の時に東大和少年少女合唱団のようなものがあったら絶対入りたかったよね」という話になります。
合唱を本格的にやった記憶は、高校の時、地元の高校生が集まってシューマンの「流浪の民」を歌ったというのが最初でしょうか。
私は中高で吹奏楽をやっていたのですが、日常的には、ホルン・パートの3人のメンバーと高校の横の小さなお宮で昼の弁当を食べて、そのあと男声カルテットを楽しみましたね。
いろんな歌を歌ってほしいが、一つには先人が残してきた音楽の宝物、合唱の宝物に触れてほしい。
バッハとかモーツァルトとかベートーヴェンとかにつながっていてほしい。
それから日本に昔からある唱歌のようなもの。唱歌の中には日本の風景とか心情とかが残っていて、心のふるさとと言えますね。
毎年3月の定期演奏会では3世代のお客さんを想定してプログラムを組むようにしています。
団員のおじいちゃんおばあちゃんの世代、お父さんお母さんの世代、自分たちの友達の世代。
プログラムの中にどの世代の人にも何曲か親しみのある曲が入っているように考えます。
【千田先生ご自身への質問】
岩手県北上市です。
中学高校で吹奏楽をやっていて、自分の人生に音楽がなくてはならないものになりました。
国分寺九小でしたが、校内では特に合唱団の活動はしていませんでした。
大人の指導は大学生の時からやっていました。
女声合唱団と混声合唱団です。
羽村市に勤めていた縁で羽村市吹奏楽団の指揮を30年以上やっています。
羽村市の新しい市民会館のこけら落としでは「オペラ・ガラ・コンサート」の合唱を指導しましたし、その後「羽村の第九」でも大勢の市民からなる合唱団をまとめ上げました。
この合唱団は、年齢は小学1年から高校2年まで、学校は市内の小中学校とそれぞれが通っている高校と、年齢も学校も様々な子がいます。
同じ学校の生徒だけで行う部活のような強い結びつきというのは難しいですが、団としてのまとまり、いっしょにやる楽しさ、やりがいなどを、意識して作っていかないといけません。
先生方やスタッフがよく子供のことを見ていてくれるので、まとまりもできているのだと思います。
子供を教える楽しみは、本番はもちろんですが、練習でもたまに本当に見事な合唱をすることがあります。
そんな瞬間に立ち会えるの本当に嬉しいですね。
子供の時からスキーが好きなんですけれど、ここのところずっとやっていないですね。
漠然としていますが、人や団体をつなげること。
自分自身も依頼にはなるべく応え、活動の幅を広げたいですね。
この夏は東大和盛連会の皆さんと「東大和音頭」を作りました。「大和音頭」と共に市民の皆さんに愛される曲になってもらいたいですね。
それから、アジア(インドネシア、ベトナム、マレーシア、インド等)の小学生向けの器楽教材づくりに関わっています。いくつかの国ではテキストも完成して既に使っています。
合唱団のアドレス:chorus.higashiyamato@gmail.com